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故郷とは、特定の土地や場所に縛られるものではない。

『そんな風に私を見ないで』ウィゼマ・ボルヒュさん(監督・脚本・主演)、スヴェン・ツェルナーさん(撮影)インタビュー

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第11回大阪アジアン映画祭で、見事《来るべき才能賞》を受賞した、ドイツ、モンゴル合作映画『そんな風に私を見ないで』ウィゼマ・ボルヒュさん(監督・脚本・主演)。シングルで男女問わず奔放に愛を求める一方、故郷モンゴルの祖母を慕い、ヨーロッパの片隅で孤独を抱えた女性ヘディを、自然体で演じている。ヘディが親しくなる一児の母、イヴァとの関係性を通じて、正反対の女性の生き方、愛、そして自由を求めて渇望する姿を描いた。一人三役を務めたモンゴル出身のウィゼマ・ボルヒュさんと、撮影のスヴェン・ツェルナーさんに、卒業制作とは思えない深みのある本作の狙いや撮影の様子、そして故郷への思いについてお話を伺った。

── ボルヒュ監督はモンゴル出身だそうですが、生い立ちを教えてください。

ウィゼマ・ボルヒュ監督(以下、ボルヒュ監督):母は東ドイツに留学していたので、両親が相談した結果、私がまだ4、5歳の時に、モンゴルから東ドイツに移住しました。当時(1989年)の東ドイツはまだまだ混乱していたので、「国に帰れ」と罵倒されたこともあれば、命を脅かされる目に遭ったこともありました。ネオナチの人たちの脅威もありましたが、両親はいつもしっかりと私を守ってくれ、「強い人間、人を良く理解する人間になりなさい。そして生き抜いていくのよ」と言ってくれました。

── 映画を撮ろうと思ったきっかけは?

ボルヒュ監督:小さい頃から映画が大好きでよく観ていたのですが、映画監督になれると思ったことはなかったです。ただ父も芸術家だったので、私も小さい頃から詩を書いていました。今から思えば、父は私がもっと自分を表現することが大事だということに気付いていて、仕向けてくれていたのだと思います。

── 映画ではボルヒュ監督演じるヘディがモンゴルの祖母のことを思い出すシーンが度々挿入されますが、監督ご自身、モンゴル時代にどんな思い出がありますか?

ボルヒュ監督:ドイツに移住してからも、休暇のたびごとに数週間親戚の家に帰ったりしていますので、思い出はたくさんあります。私が初めて話したのはモンゴル語ですし、両親がよく歌っていたモンゴル語のフォークソングや、愛し方、人との接し方もモンゴル流です。もちろん私が典型的なモンゴル人だとは思いませんが、ゴビ砂漠の人間だと感じます。地域の民謡を聞けば心に響くし、モンゴル砂漠の色の変わり目を身近に感じてきました。アイデンティティーとしてモンゴル人だとか、ドイツ人だとか明確に色分けされている訳ではありませんが。

── ヘディとイヴァという対照的な二人の女性の物語ですが、彼女たちの人物像をどのように作り上げたのですか?

ボルヒュ監督:イヴァ役のカトリーナはいい友人であり、彼女に出会って、男社会の中での若い女性の生き方にとてもインスピレーションを受けました。私は元々ドキュメンタリーを撮っており、女性の問題や女性をテーマにしたものを取り上げてきたので、カトリーナとの関わりから、女性の生き方を題材にした本作の構想を練っていきました。

── 具体的に、どのようなドキュメンタリーを撮ったのか、教えてください。

ボルヒュ監督:若い女性二人がアパートの中で、裸になって、お互いを知り合う“Donne-moi plus”という作品で、私の第一作となります。英語では、“give me more”(もっと、ちょうだい)という意味ですね。次に撮ったのは、90歳でバイオリニストのドイツ人女性と私が、二人で時を過ごしながら、人生について、愛や情熱について、そして死について語り合う作品で、私自身のパーソナリティと彼女のパーソナリティを対比させました。

── ヘディはイヴァと恋愛関係になりながらも「レズではない」「そんな風に私を見ないで」と言い放ちます。固定観念に縛られたくないという監督の気持ちが込められているのですか?

ボルヒュ監督:私自身もヘディのようにありたいと思うし、今の世の中にヘディのような人はたくさんいますが、社会が受け入れるのは箱の中にきちんと収まるタイプの女性なのです。だから、そろそろヘディのように自由に生きる女性が取り上げられてもいい時代ではないかと思いました。実際、私も小さい頃から両親に女性はおとなしくするようにと言われてきました。でも兄弟たちと同じように自由を手にしたいし、男友達のように欲望や願いをもって生きたいのです。ヘディは、より自由な人間に向けての一つの人格だと思っています。この自由な人間というのはたまたま女性(Female)というだけで、昔ながらの、スカートをはき、女性らしさに縛られた女(Woman)ではありません。ヘディは縛られたくないし、型にはまるような人格ではなかったのです。

── ヘディがイヴァの父と情事にふけるシーンで、彼がプレヒトの詩を引用し、愛や自由を語るところは、作品のテーマに繋がる気がしました。

ボルヒュ監督:イヴァの父親を演じたヨーゼフ・ビアビヒラーさんはとても有名な俳優で、映画出演をお願いする過程で何度もお会いし、お酒を飲みながら人生を語っていたときに、プレヒトの詩を口にされました。それが、とても強い印象を与えてくれたので、映画にも取り入れたのです。脚本は書きましたが、台詞は全てアドリブだったので、撮影中に彼にもう一度詩を言ってとお願いしました。

── 二人の女性を非常に美しく描き出した映像もこの作品の見どころですが、撮影で留意した点は?

スヴェン・ツェルナーさん(以下、ツェルナー):脚本はありましたが、ボルヒュは即興を多く取り入れようとし、何が起こるか分からない状況だったので、ドキュメンタリーを撮るようにひたすら撮りました。シーンがずっと続いているときは、自然な流れに沿って撮影を続けました。照明も十分ではなかったので、窓からの自然光を取り入れました。全ての力を注いで、カメラの方向や、出演者たちとの距離を同時に考えながら動きました。緻密に計画を立てすぎると、自然な雰囲気のある映像を撮ることはできませんから、私もカメラと演技するかのように動いていました。ヘディは極端なキャラクターですが、一人の一般的な女性で、普通の生活もあることを、映画を通してリアルに撮影しようと思っていたのです。撮り直しをすることが一切なかったので、ごまかしの効かない撮影でしたが、大いなる冒険であったと共に、本当に素晴らしいプレゼントのような体験でした。

── 現実とヘディの心の中を映し出したモンゴルでのシーンが交錯し、また物語の舞台もヨーロッパのどこかとあえて限定していません。様々な垣根を取り払っている印象を受けましたが、どのような狙いがあるのですか?

ボルヒュ監督:登場人物の職業や年齢、どこに住んでいるのかを示していないのは、定義や境界線を全て取り払いたかったからです。というのも、私たちは頭の中で物事を考えると、既にその物事は始まっています。すごく抽象的な考えですが、そこからリアリティーが始まると思っています。エヴァやヘディがセックスをしながらも、その時に頭の中をよぎる思いが現実に直結している。そのような世界です。

── 最後に、ボルヒュ監督にとって、故郷とはどんな存在ですか?

ツェルナー:以前、私がボルヒュに同じ事を聞いた時は、「故郷とはモンゴルの歌や、言語、ゴビ砂漠や両親が言ってくれた言葉というもので、特定の土地や場所に縛られるものではない」と語っていましたね。

ボルヒュ監督:今の私の故郷は、両親です。モンゴル人の中にはモンゴル人であることを誇りに思う人は多いですが、私自身は特にそのような感情はありません。一方ドイツ人でもないので、そうとも思いません。ここに今生きている一人の人間だと思っているので、どこへでも行けるし、誰もそれを止めることはできません。今、ヨーロッパは厳しい状態が続いており、一瞬一瞬を生きていることが大事で、場所は問題ではないのです。

取材/構成 江口由美