大阪アジアン・オンライン座

監督メッセージ

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監督:山崎裕

トルソ

監督:山崎裕

第17回大阪アジアン映画祭で『トルソ』が「オンライン座・オープニング作品」に選ばれたと聞き大変驚きました。私はカメラマンとして映画に関わってきていましたが、長編の劇映画の監督をしたのはこの1本だけなのです。

『トルソ』は1970年代のなかば、ヨーロッパで女性解放、性解放、ポルノ解禁等の動きが盛んな頃に、思いついた企画です。男と女の関係において、女性の意識の高まりを尊重したい、という思いで考えていましたが、なかなか具体的にはなりませんでした。

2000年代に入り日本の女性も大きく変わり、日本を舞台にしても出来るかもしれないと思い始めた頃に、渡辺真起子、安藤サクラ、というふたりの素晴らしい女優に出会い、一気に具体的なイメージが広がって完成出来た作品です。

私自身が限りなく、愛し、敬う、女性すべてに捧げる作品です。

今回、あらためて多くの方々に見て頂ける機会を頂いたことに大変感謝しています。

監督:清水俊平

息ぎれの恋人たち

監督:清水俊平

ずっと憧れていたカメラマン・柳島克己さんに無茶を言って『アウトレイジ 最終章』の合間を縫って撮影して頂いた学生時代最後の作品です。物語ラスト、ヨネクラ・ボクシングジムでの長いトラッキングショットは何よりの思い出で、このたび上映機会を頂けたことを映画祭に心から感謝します。 一人でも多くの方々にこの作品が届きますように!!

監督:三澤拓哉

3泊4日、5時の鐘

監督:三澤拓哉

久しぶりに見ると、ハッとするほど軽やかな映画だ、と思いました。撮影当時26歳という自身の若さによるものなのか、あるいは、この間に起きた社会の変化によるものなのかは分かりません。ただ、自分でも忘れかけていた、楽天的な精神をこの作品は持っていました。 嫉妬、羨望、嘲笑、裏切り−登場人物たちは感情の沼にハマりながらも、物語のラストで、茅ヶ崎の夕空を見上げる時、なにを思うのか? ぜひ、見届けて頂きたいと思います。

監督:井土紀州

行旅死亡人

監督:井土紀州

自分の作った映画はどれも愛おしく感じます。しかし、その愛おしさには常に苦さが伴います。苦さの原因は〝あそこはああすればよかった〟〝こうすればもっと面白くなったのに〟という、もはや取り返しのつかない後悔からくるものです。だから、その苦さは作り手にとっては次に取り組むべき課題を示唆し、映画を撮るための原動力となるものなのです。『行旅死亡人』は、私にとってまだまだ取り組まねばならない課題を残してくれた愛すべき映画です。

監督:夏都愛未

浜辺のゲーム

監督:夏都愛未

当初この映画は、明け透けな女子トークをメインとした作品を作ってみよう、というところから始まった。そこから色々な方に相談にのってもらい、様々な人種の人々が同時に集う湘南の一軒家、というコミカルな舞台ができあがった。登場する誰もが利己的で自己中心、そんな場所で繰り広げられる空っぽの女子トークに、飛び交うタイ語や韓国語。何か特別なことが起こるわけでもない約80分に、少しでも愛や不思議な秩序のようなものを感じてくださったら嬉しいです。

監督:五十嵐皓子

メカニカル・テレパシー

監督:五十嵐皓子

欲しいものが手に入らず、思いは報われず、届かない… それでも生まれてしまった感情や心の行き場はあるのか。心の中で、祈りのように思うことが、いつかどこかで他人に届くのか。その答えを探しながら、作品を作りました。自分の中にある、結局報われなかった気持ちや、言葉にできなかった気持ちについて、この映画を観たことによって、一度立ち止まって思い出す時間を持って頂けたら嬉しいです。

監督:大江崇允

適切な距離

監督:大江崇允

かつて参加したCO2及び大阪アジアン映画祭で改めて世界の皆様に見て頂けて光栄です。前作で色々な方に物語が薄いと意見を頂いたので、今回は「物語って何だろう」ということを考えて映画にしてみました。多分この作品が今の自分の名刺になっているんだと思います。

監督:いまおかしんじ

れいこいるか

監督:いまおかしんじ

1995年。俺が監督デビューした年、阪神淡路大震災があった。大切な人が死んで、残された人はその先をどうやって生きていくのか? 実人生の中で、映画を作ることの中で、ずっと考えている。死んだ人のことを忘れたくない。時間がたてば忘れるというなら、忘れない方法はないものかと思う。生きていた時に受け取った何かを何らかの方法で残したい。だから俺は映画を撮るのかもしれない。フィクションの中にその思いを無理やりねじ込んで死者とコンタクトする。『れいこいるか』を撮りながら幾人もの死者の顔が浮かんだ。彼らが俺の後ろにいる。不思議と背筋が伸びるのだ。この映画を死んでいったたくさんの知人たちに捧げたい。

配信にあたって:「『れいこなんちゃら』って映画、ここでやってんの?タダなん?」2022年1月17日。阪神・淡路大震災から27年目のこの日、神戸映画資料館で「れいこいるか」の上映があった。買い物帰りのおばちゃんたちが見に来てくれた。「なんか今いちやったな」とか言いながら財布から小銭を取り出して、募金箱に入れてくれた。最初に公開してから2年経って、まだ上映できることがとても嬉しい。

監督:山崎樹一郎

ひかりのおと

監督:山崎樹一郎

『ひかりのおと』はちょうど10年前、岡山県内51箇所の巡回上映ツアーをしていた映画です。山間の集会所や、公民館、学校や地域のホールなどで上映しました。そこに暮らす人に映画を届けていました。そしてその土地の人と出会っていた。映画は誰かと出会いたいから続けているのかもしれません。この度オンライン上映ということで、正直複雑な気持ちではありますが、少しでもこの映画を通して誰かと誰かが出会うことがあれば幸いです。いてつく寒さの岡山県北・真庭の冬に若く映画を志す仲間たちで力を込めて作った映画を楽しんで観てください。

監督:竹内洋介

種をまく人

監督:竹内洋介

映画『種をまく人』は、長年追い求めてきたヴィンセント・ヴァン・ゴッホの人生と、東日本大震災の直後に被災地で見た一輪のひまわり、そして震災の翌年に誕生したダウン症の姪との関わりによって生まれました。2011年夏、私は友人とともに東北の被災地を訪れました。東日本大震災の津波によって倒壊した家屋や木々、津波の威力を物語る瓦礫の山を前に私たちは打ち拉がれ、荒廃した土地をただ黙って歩き続けました。一体どれくらい時間が経ったのでしょう。疲れ果てて腰を降ろすとそこに一輪のひまわりが咲いていました。 誰かが植えたものなのか、波に流された種が自生したものなのかは分かりません。ただ一つだけ確かなのは、そのひまわりが私の心に何かを残したという事実だけでした。「津波は多くのものを奪い去ったが、この花は津波が運んで来たものなのかも知れない。」 そう思うと、ひまわりとの出会いが特別なことのように感じられました。そして撮影の年の6月、私たちは、宮城県仙台市の若林地区に約2000粒のヒマワリの種を植えました。震災の傷跡を残した状態の荒れた果てた土地を一から耕し、肥料を撒き、種を植えました。その後も定期的に若林地区を訪れ、草引きや追肥、水やりを行い、そんな育成作業は本編の撮影開 始ぎりぎりまで続きました。やがて度重なる危機に瀕しながらもひまわりは育ち、開花を迎えた8月の半ば、無事にラストシーンを撮り終えることが出来ました。

早いもので震災から8年が経過しました。時の流れは景色を変え、人の感情もゆっくりと変えていき、やがて震災での記憶を薄れさせていきます。私たちが種を植えた場所の周辺は、復興事業の工事によって土が運ばれ、現在は見る影も残されていません。しかし、過ぎ去った記憶や失われた光景は、私たちの映画の中に確かに残されています。35ミリフィルムの中に刻み込まれたその失われた光景を、一人でも多くの方々に届けたいと願っております。 そして撮影当時3歳だったダウン症の姪も、今年7歳を迎えました。同じ年代の子供たちと比べると成長のスピードがゆっくりではあります。それでも彼女なりのペースで感情の表し方を覚え、コミュニケーションの取り方を身につけ成長しています。彼女の屈託のない笑顔は、本当に私たちの心を癒してくれます。彼女の無垢な心、その笑顔に触れるたび、人間の存在価値とはいったい何なのか、生きるということは何なのか、といったことを考えさせられます。

映画『種をまく人』を通して、障害と個性、そしてそれを受け入れる家族や社会、人のあり方について今一度考えたいという欲求がこの映画を企画した目的でもあります。そして今回、本作に出演しているダウン症の姪と、それを取り巻く人物たちの苦悩と葛藤を通して、個性とは何か、生きるとは何か、そういったことを少しでも考えるきっかけを持って頂ければ嬉しく思います。