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第8回大阪アジアン映画祭
開催レポート 3月11日(月)

映画祭4日目

 

一雨降った後は、空気も少しはキレイになったように感じた午前中。
それでも、午後からは花粉やらなにやら舞っているようです。

 

 

 

 

本日よりブルク7の上映は夕刻から。
アンジェラベイビーとマーク・チャオの織り成すラブストーリー『メモリー -First Time-』とオープニングから熱狂させたジョニー・トー監督最新作『毒戦』が上映されました。

 

一方、シネ・ヌーヴォでは、『ユートピアサウンズ』『春くんとの密月』(《日本映画人のニュー・フロンティア》)がそれぞれ2回目の上映に。また、《東日本大震災から2年「メモリアル3.11」》にて3作品上映とトークセッションが行われました。

 

 

昨日に引き続き登場の『ユートピアサウンズ』三間旭浩監督(左)。

今日は更に嬉しい飛び入りゲストとして、諸田創プロデューサー(右)に、出演の森下くるみさん(中央)が着物姿で登場。

 

三間旭浩監督、諸田創プロデューサー、出演の森下くるみ氏

 

三間旭浩監督 三間旭浩監督、諸田創プロデューサー、出演の森下くるみ氏

東京藝術大学大学院の修了制作として作られたこの作品は、プレゼンを勝ち抜いて国の助成金で製作。「予算は170万円でしたが、実際にはサラリーマンの一ヶ月のお給料分くらい足が出て、自腹を切りました」と、のっけから生臭い暴露話が飛び出し、客席の耳は思わずダンボに。

思い出の場所にマイクを向けて録音を始めると過去の出来事が目の前でプレイバックされていくという手法には「同じ導入の繰り返しでは飽きてしまうので、シーンごとに工夫を凝らしました」と。見えない“音”を介して広がる物語のイメージと、ラストシーンの画だけは明確に決まっていたものの、そこに至るまでのストーリー作りは紆余曲折。「でも、それが逆に良かったかなと思います」と振り返えられました。

 

因みに、主人公は65歳で、撮影をした2011年から30年前の“1981年”に、離婚を前提として妻と旅をしたという設定だが、「何故1981年なの?」との問いに、「う〜ん…離婚の危機はだいたい30代半ばかなと思って、なんとなく…」と、客席の笑いを誘う一幕も。

「国のお金で作ったので、一般公開するには色んな障壁があって、まだメドは立っていませんが、大阪でも公開したいです」と熱を込めた。 一見、淡々と静かに進むように見えて、ラストシーンにはとんでもない爆発力を内包している力作。公開実現を望みます。

10日(日)の舞台挨拶の模様はこちら


 

 

 

 

午後からは、特集企画《東日本大震災から2年「メモリアル3.11」》が開催され、3作品の上映とトークセッションが行われました。

 

 

(奥から)撮影の山田武典氏、青池雄太監督、製作をされた被災地市民交流会の垂水英司氏 撮影の山田武典氏、青池雄太監督 映画『希望の樹』

1作目の『希望の樹』は、神戸の被災地市民交流会が間を取り持ち、台湾アート集団・台湾壁画隊が岩手県大槌町で壁画制作に挑戦する1週間の記録映像。 (奥から)撮影の山田武典氏、青池雄太監督、製作をされた被災地市民交流会の垂水英司氏が登壇され、壁画が作られるまでの経緯など、お話くださいました。

 

アートで人をつなぐ、というこのテーマが、そもそも被災地で受け入れられるのかが心配だった、という垂水英司氏。

結果、会場からは「台湾の方と参加した日本の高校生たちが、言葉こそ通じないのに共に壁画を創り上げていく姿に感銘した」との声がでたほど、その交流は心あたたまるものになったようでした。

 

「台湾の方々は、はじめゆっくり作業をされていて、期限までに完成するの?と思っていたが、後半、カメラがまわらなくなる夕暮れすぎても取組み、すごい集中力で完成させていましたよ」と撮影の山田武典氏。

青池雄太監督からは、この壁画がバス通り沿いにあり、車で止まって写真撮影していかれたり、その前で立ち止まって話題にしていたり、と今も“希望の樹”が生きていることが語られ、観客も更に笑顔になれました。


 

 

2作目は『3月11日を生きて~石巻・門脇小・人びと・ことば~』を上映。 14:45~のプログラムで、上映前14:46にあわせ、会場で1分間の黙祷がささげられました。

青池憲司監督は上映後に登壇。

 

青池憲司監督

 

青池憲司監督『3月11日を生きて~石巻・門脇小・人びと・ことば~』

「今日、東京からの新幹線の中でラジオの電話取材を受けていて、気づくとずっとトイレにこもっていて(笑)、新大阪で下車出来てよかった」と朗らかなお人柄を感ずるエピソードで始まったトーク。

 

本作は、3月11日、1日のことを、門脇小の小学生、保護者、教員からのインタビューだけで構成されたドキュメンタリー。同監督『津波のあとの時間割~石巻・門脇小・1年の記録~』(3月18日(月)~ シネ・ヌーヴォにて公開)で100人近い方々からの声を1年間記録しており、この2本を含めた3部作を構想されているとか。

 

知り合いの現地教員の方から「こどもを中心にしたものつくって欲しい」と依頼があり、費用も被災者の皆さん800~1000人からの支援で集められた、被災者自身がつくった、被災地発の映画といえる作品。それに応え、被災者の皆さんと共に制作された監督。「被災地では『おかえり』と言われるけど、我が家に帰っても誰も『おかえり』と言ってくれない。」とぼやく場面も(笑)。


 

 

次にトークショー「東北・関西、復興を映画する」開催。

ゲストには、(奥から)高橋陽一郎監督(『それからの海』)、青池憲司監督(『3月11日を生きて』)、神田裕氏、垂水英司氏(共に被災地市民交流会)が登壇されました。進行は本映画祭事務局長の景山理(手前)。

 

(奥から)高橋陽一郎監督、青池憲司監督、神田裕氏、垂水英司氏

垂水英司氏は、阪神淡路大震災を体験し、様々な被災地支援に行かれています。1999年の台湾大地震の現地復興支援などをされ、そのつながりが『希望の樹』のアートプロジェクトにつながります。

また、神田裕氏は元・カトリックたかとり教会の神父。この教会は、神戸の震災時に聖堂が全焼してしまうも、ボランティアの活動拠点となった場所。

 

垂水英司氏 神田裕氏

垂水英司氏(被災地市民交流会)       神田裕氏(被災地市民交流会)

 

青池憲司監督が撮られた「記憶のための連作『野田北部・鷹取の人びと』全14部」で、神田裕氏が場所を提供した縁でお二人はつながっていました。「震災ゼロ年に青池さんに出会い、いやがおうでも、一緒に何かをしなければならない状態でした」と神田裕氏。「大切なのはコミュニティだった」と。

 

青池憲司監督 高橋陽一郎監督

青池憲司監督                 高橋陽一郎監督

 

「地域社会のコミュニティを協同して、どう社会を創り上げていくのか、その人の努力やプロセスに興味があり、描きたいことなんですよね」との青池憲司監督の意見に、高橋陽一郎監督も賛同。「復興しようとする原動力、その過程に興味があったんです」と映画づくりへの気持ちの核を語られたお二人。

 

「“3月11日を映画する”うえで、ドキュメンタリーとフィクションという手法の違いがあるが、それをどうとらえますか」の質問に、「結果的にどう描かれたであって、その意味ではドキュメンタリーもフィクションも同じ。」と、これもまたお二人ともに、我が意を得たりと同じご意見だったことが印象的でした。“復興を映画する”のではなく、結果、“復興の映画になった”だけなのかもしれません。

 

途中から、会場にいらした『希望の樹』の青池雄太監督(青池憲司監督の息子さんです)と撮影の山田武典氏も呼ばれ、ゲストとして参加され、話は尽きませんでした。

 

 

高橋陽一郎監督高橋陽一郎監督映画『それからの海』

(C)NHK (Japan Broadcasting Corporation)

3作目は『それからの海』(ロングバージョン)

「フィクションだとしてみたら、実際の風景があって、セリフではない“人”のことばであって、フィクションの枠を超えた作品。」と青池憲司監督が衝撃を受けたという本作。

 

あくまでフィクションではあるので、現地の方々に“役者”として出演いただくのに仮設住宅で暮らす被災者の方々にもOKをもらってからの撮影開始となったそう。

「震災というテーマはもちろんあったけど、オーディションや実際地元の人たちと付き合っていく上で、3.11のその時の事ではなく、その中でも生きている子供たちのしたい事やしている事という“今”が気になっていった」と高橋陽一郎監督。こうした監督、スタッフの“よりそう”接し方が、作品にも深く反映されたのでしょう。

 

また、「撮影時の被災者への配慮は?」という質問には、「そこの生活を尊重すること」とはっきりと答えられました。

また、地元でも上映会を行ったとのこと。その時は、子どもたちも一緒で、「あの人、でているー!」と、とてもにぎやかな上映会に。

「その時の感想で『すごく懐かしかったです』とおっしゃる方がいらして、私たちから見れば全然変化がなくても、当事者の中では確かに変化しているということを感じさせ、心に残った」と、しみるエピソードも。

満員の会場は、高橋陽一郎監督の興味深い撮影裏話などに聞き入る熱い時間でした。