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作品が描いたシンガポールの闇について主演俳優が語る『イエローバード』

特集企画《ニューアクション! サウスイースト》『イエローバード』の上映後、主演のパラクリシュナン・シヴァクマールさんが登壇されました。

本作はシンガポールのいわゆる“クリーン“なイメージを裏切るような内容ですね、という問いかけに「とても珍しいと思います。これは言わば、コインのウラオモテだと言えるでしょう。オモテのシンガポールは、確かにクリーンで美しいところ。でもウラ側にはダーティな部分があり、劇中描かれるような人たちもシンガポールには住んでいるというのが、事実なのです。“あまり見せたくない部分“……これはどの国にも同じようにあると思います」と語られたパラクリシュナン・シヴァクマールさん。

また、もうひとりの主役といっていい、中国からの不法労働者役を演じたホアン・ルーさんについて「K・ラジャゴパル監督がわざわざ中国本土から呼びよせたのです。それは、中国本土の人の持っている言葉のアクセントやマナーなどを、本物らしく見せることに監督がこだわったからです」と明かし、その監督の求める“本物らしさ”へのこだわりは、パラクリシュナン・シヴァクマールさんに対しても同様にあったとのこと。「映画のなかで見てもらったのは、すべて私が実際にやったことです。お葬式の列の先導でタイコを鳴らして歩き、食堂で皿洗いをし、実際に数日間、道路で寝てホームレス経験もさせられました」と語り、「この映画の役は、私にとって、俳優としてとても挑戦しがいのある役でした」と話されました。終始、誠実にかつ熱くご自身の考え方で丁寧に答えてくださったパラクリシュナン・シヴァクマールさん。レイト上映枠にもかかわらず、観客もぐっと引き込まれる時間となりました。

観客の胸を熱くした一作。制作経緯を丁寧にお答えに『1万キロの約束』

会場を埋め尽くした観客のすすり泣きが聞こえてくる《コンペティション部門》『1万キロの約束』上映終了後、大きな拍手に迎えられて、サイモン・ホン (洪昇揚)監督が登壇されました。

日本語で「こんにちは、大阪のみなさん!」と挨拶されたサイモン・ホン監督は「3年前にプロデューサーのジェイ・チョウさんから、脚本を書かないか、映画をつくらないかと打診があった」と明かし、モデルとなったランナーのケビン・リンさんとジェイ・チョウさんらがプロデュースを担当。シナリオはほぼ監督が手掛けられたそう。「最初の企画書の段階で、冒険やラブロマンスの要素を足すように要請がありました。結果、描いた愛の中には、主人公とヒロインだけでなく、父と子の関係や、ケビンさんご自身の色々な関係も含めました。また、自分自身の妻や父親との関係性も込めています」と語ったサイモン・ホン監督。

ウルトラマラソンシーンの撮影について「台湾やアメリカでの撮影は夏で非常に暑かったです。セイカイア(青海)は涼しかったのですが、高原で酸素が薄かったので、ボンベを持っていかなければなりませんでした」と苦労を語られました。また台湾での撮影場所に、有名な九份を選んだことについては、「小さい頃から馴染んでいた土地で、非常に美しい山と海があります。特に海は、主人公の内心を象徴するものとして重要でした。彼は海を越えて、アメリカや中国に行くのです。またわたしは日本の文化が好きで、九份は宮崎駿監督作品をはじめ、日本のアニメーションでも引用されています。カメラマンは日本人(芳賀弘之さん)でしたが、彼も近しいものを感じていたようです」と説明されました。

また、主人公のホアン・ユエンさんについて「台湾で彼より背の低い役者はなかなかいない」と笑いを誘いつつも、「上海国際映画祭で主演男優賞を獲ったこともあり、演技は申し分ない」としっかりフォロー。心に残る演技を披露したヒロイン、メーガン・ライさんの起用については「役柄的に、男っぽいところがある人、厳しさのある人を探していました。彼女は、そういう役を多くこなしており、演技にも定評があったので起用しました。ただ今作は、中身は非常に女性的な一面があり、複雑な役どころでもあったので、彼女にとっては挑戦となったようです。結果としてはこの作品を、彼女も気に入ってくれました」と、俳優への信頼が窺えるお答えでした。

最後に、監督は大阪に来るのが二度目であることを告白。小さい頃訪れた1回目に雪が降ったことを懐かしみ「映画を持って再訪できたことをありがたく思います」と笑顔を見せました。会場からは、歓迎の拍手が沸き起こりました。

フィリピン社会に想像力を注ぎ込み作品にした『ティサイ』

今回が海外初上映となった《コンペティション部門》『ティサイ』の上映後、ボーギー・トーレ監督が登壇されました。「『ティサイ』を見てくれてありがとう。自分がつくった作品が外国の人に見てもらえるのが嬉しい」と挨拶されたボーギー・トーレ監督。

会場から描かれているバスケットの試合での賭け事について問われると「フィリピンで一番人気のあるスポーツがバスケットボール。人気ロック歌手に匹敵するくらい。大学からプロ選手になればヒーローと呼ばれる。しかしその他はセミプロ活動も多く賭け事の対象にされることが多い。映画のようなブックメーカーが関与することも現実ですね」と明かしました。また「本作は複数の友人の経験を元にしています。ボスのブランド、主人公ティサイ、バスケット選手のシモンがそれぞれの役が直面している問題などはそれらを投影している。また、エキストラで出演しているシモンの対戦相手、青いユニフォームの選手は実際に賭け事疑惑をかけられた選手たちが出演しているのです」と、なかなか食い込んだ話に。

主人公を演じたナタリー・ハートさんについては「母親がフィリピン人で父親がオーストラリア人。フィリピン育ちで現在も在住。ハーフの人たちは色白で美人が多いが、やはり生活はとても厳しい」とのこと。主人公の名であり、タイトルでもある『ティサイ』という名前の意味について「フィリピンでは“ティサイ”という名は美しいけれども、白人系ハーフを指す蔑称なんです」とも説明されました。ボーギー・トーレ監督は「R18指定のこの作品ですが、劇中の激しく厳しいシーンはあくまでも想像力で作り出したもので、現実ではありません」と言葉を足されました。

映画だけでは分かりえなかったフィリピン社会について語られたボーギー・トーレ監督。会場からは質問が絶えず、そのままサイン会でも盛んに質問をする観客の姿が目立ちました。

フィリピンのヒットメーカーが有名女優と共に挑んだサイコスリラー『至福』

《コンペティション部門》『至福』の上映後、ジェロルド・ターログ監督と主演のイザ・カルサドさんが登壇されました。フィリピンの英雄を描いた2015年の映画『ヘネラル・ルナ(ルナ将軍)』で大ヒットを記録したジェロルド・ターログ監督の最新作となる『至福』。監督は、『もしもあの時』(OAFF2014)以来2回目の大阪アジアン映画祭となりました。

今回の大阪滞在中は、『ヘネラル・ルナ』の続編となる次回作の準備のためホテルに缶詰めとのこと。「お忙しいところお越しくださり、ありがとうございます」との司会の言葉に、イザ・カルサドさんから「監督にとってここにいるのは休憩。ファミリーマートに行くのがバケーションよ(笑)」とのお話があり、なごやかなムードでQ&Aはスタート。しかし、おふたりとも大きなスクリーンで全編を通してみるのはこの上映が初めてとのことで、ジェロルド・ターログ監督は「今の気持ちは正直、ほっとしています。やっと努力がひとつにまとまり、手探りでやってきたことが形になって上映されてよかったです」と話されました。

イザ・カルサドさんは監督に目配せしながら「手のひらに汗をいっぱいかきました。ひどい映画になっていたらどうしよう、監督のことを大嫌いになってしまったらタイヘンだと思っていたのですが、なんとかこれからも友達でいられそうなのでほっとしました(笑)」と緊張しながらの鑑賞だったことを明かされました。さらに、イザ・カルサドさんからは、「サイコスリラーというのは、ドラマやロマンティックコメディが主流のフィリピンではあまりないジャンルであり、この映画をつくるというのはそれなりのリスクを伴う実験的な試みでしたが、非常にうまくいったのでとても満足しています」と話されました。

この映画を撮ることになったきっかけについて、ジェロルド・ターログ監督は「友人のプロデューサーから、『観る人の心をかき乱すような、不安にさせるような、そんな映画を有名な女優に主演をしてもらってつくりたい』という話をもちかけられ、おもしろそうだなと思いました。映画の内容そのものは私が見た夢がきっかけです。どの夢がどのような形でこの映画に出てきているかは言えませんが、海外の映画監督、日本ではアニメーターで映画監督の今敏さんといった方々のいろいろな作品も参考にして、この映画をつくりました」と明かされました。

また、現実と夢が複雑に交錯して展開する内容のため、撮影も大変だったのではとの質問には大きくうなずかれ、「『ヘネラル・ルナ』は大変な大作だったのですが、そのすぐ後に撮影にとりかかるということで、できればもう少し規模の小さいラクに撮れる作品を、と思いながら着手したのです。が、結果的にはこちらのほうも同じくらい、あるいはそれ以上に大変でした」と苦笑いされました。

イザ・カルサドさんのお父さんはフィリピンの有名な監督リト・カルサドさん。お父さんを知る同胞のフィリピン人からの「お父様にはどのような影響を受けましたか」という予期せぬ質問にイザさんは緊張感が緩んだのか、「とても嬉しい質問をありがとうございます」と涙声で挨拶。

「実は家業の関係で日本とつながりがあったので、父も母も日本語が話せましたし、子供の頃、大阪や東京に来たこともあります。父の影響は非常に大きいです。父は『俳優』という意味では大成しなかったけれども、ダンスや振り付けをよくしていて、私に大きな影響を与えてくれました。父には何事も愛を持って真剣に取り組むようにと言われて育ちましたので、私はうまくいく時もいかない時も100パーセント全力を尽くすということを自分のモットーにしてきました。今回、このような質問をいただき、天国から父が見守ってくれているなあと感じて、涙を抑えられなくなりました。本当にいい質問をありがとうございました」と感激の面持ちでお答えになり、会場からはあたたかい拍手が送られました。

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