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撮影場所がミラノから茅ヶ崎になった理由とは?!『77回、彼氏をゆるす』

《コンペティション部門》《Special Focus on Hong Kong 2017》『77回、彼氏をゆるす』上映後にハーマン・ヤウ(邱禮濤)監督が登壇されました。

「私は小さいころから映画をつくってきました。今、映画の仕事ができて幸せです。物語、登場人物などに気をつけますが、観客に対して、何らかのメッセージを伝えたいと思っています」とハーマン・ヤウ監督は話し始められました。

本作のテーマは「男を許してはいけないことでしたか?」という声に「観客に自由に観てもらえばいいと思いますが、それは違うと思います」と監督。「例えば、白と黒に元来差があるように、男と女にも差があります。その差を減らしていくことができればと思います」と説明されました。またタイトルについて監督は「“77回”というタイトルの数字は、キリスト教の聖書から。そこまでこの映画と関係はないのですが、根拠はあるのです」と意味深なお答え。

本作には小津安二郎の定宿、茅ケ崎館が出てきます。「我々の世代は、小津安二郎監督を崇拝しています。私自身、小津監督作品は人間の感情がよく表されていると思いますし、それは今ではなくなってきている部分であるとも思っているのです。ですから小津監督への憧れも茅ヶ崎館を使用した理由の一つです。一方、男女が旅に出るときは喧嘩しがちです。そこから、男女の感情を描くことができる場所として使いたかったのです」と監督は語られました。「ちなみにこの映画には原作があります。本案はイタリア・ミラノに行くはずでした。しかし、撮影をミラノですると航空運賃が高くつき、日本になったのですけども」と付け加えられました。

終始穏やかながらも、映画愛がにじみ出てくるハーマン・ヤウ監督の話を食い入るように聞く観客の姿が印象的でした。

司会のリム・カーワイ監督もサインをもらいに。(写真左)
そして国際審査委員ホー・ユーハン監督。ここでも審査の合間にファンサービス。ありがとうございました!(写真右)

好きなものを、世界中の人たちとつながってつくった12年!『サリーを救出』

特集企画《ニューアクション! サウスイースト》『サリーを救出』の上映後、アヴィッド・リオンゴレン監督が目を引く帽子を着用されご登壇。会場からは一瞬で笑顔が溢れました。

本作が英語を主につくられていることについて「この作品は2005年に撮影を始めましたが、もともとは映画として上映するためではなく、インターネットでメキシコ、ブラジル、ロシアの人と作っていたのです。そこで共通言語が英語だった。世界中の友人に向けてつくった映画でしたが、幸運にもこのような形で劇場でも上映してもらえるようになりました」とアヴィッド・リオンゴレン監督は話されました。

また世界各国で上映される機会を得ていることについて監督は「海外での反応ですが、驚くほど気に入ってもらっていて、ポルトガルやアジアの映画祭などでも観客賞や審査員賞などの賞をいただきました。今後、ブリュッセル、ロサンゼルス、ブラジル等でも上映を予定しています」とのこと。

劇中にでてくる手書きの漫画は監督自身が描かれたものですか?の問いに「ドローイングの絵については、私が描いたものも含まれていますが、基本的にはチームで画を描きました。もし1人で描いていたら、500年位かかったと思う(笑)」と会場を笑わせ、さらに「アニメーションと実写の組み合わせについては、もともとミックスしてやろうと思っていました。もっと簡単に6ヶ月位でできるかなと思っていたが、12年もかかってしまいましたけど」とおどけた調子で続けられました。

このアニメーションと実写の組み合わせへの着想は、の問いに監督は「コミックが大好きだから。漫画、アニメが大好きだからです。ずっとそういったものを作りたいと思っていたが、どうやったらいいかわからなかったので、時間がかかってしまいました」と話されました。

キャッチ―なファッションにサービス精神旺盛なアヴィッド・リオンゴレン監督の周りには、上映後も多くの観客が集いました。サインのリクエストには、丁寧に楽しくイラスト入りで対応されるなど陽気な時間は続いていました。

アヴィッド・リオンゴレン監督のサイン、「Thank you!」バージョンと「ARIGATO!」バージョンが!

映画のプロが描き出した究極の等身大映画を多いに語る『呼吸正常』

《コンペティション部門》『呼吸正常』の上映後、リー・ユンボー(李雲波)監督が登壇されました。

「大阪の皆さん、こんにちは。この映画は中国の現代の若者の生き方や夢を描いた作品です。皆さんがこの作品から何か共鳴する部分を見つけて下されば幸いです」とリー・ユンボ―監督は挨拶されました。

長年、映画の評論を仕事にしていらっしゃる監督。なぜ、ここで映画を撮ろうと思ったのかの問いに「20年ほど映画評論に携わっていて、今までに1万本くらいの作品を観ています。あまりに映画が好きすぎて映画を撮ろうということになりました。中国では1本映画を撮るのに何といってもお金が必要ですが、この20年間に築き上げてきた人間関係を駆使してつくったのがこの作品です。出演者は全員素人で、自分自身を演じています。出演料はほとんどかかっていません。ほぼドキュメンタリーに近い状態でつくってあり、出演者の名前は、ほとんど自分の名前そのままですし、家庭環境や職業等もリアルに彼らを撮りました」と説明されました。

また「この作品は広州の街を撮るという意図があり、四季の移り変わりを撮っています。広州は中国第三の都市ですが、雰囲気は大阪に似ていると思います。しかし広州を舞台にした作品というのは、この20年来ほとんどない状態です。ロケーションは区によって経済発展が著しい地域、文化的要素が満載な地域など雰囲気が違います。さまざまな広州の側面がさまざまな人物と結びついて描かれているのです。ラストに広州で有名な山、白雲山に一緒に登って、そこから街並みを見渡すシーンがあります。包括的に街を見ることによって、これまで歩いてきた道や将来のことに思いを馳せるという雰囲気をつくりだしたのです」と語られました。

焦りやそれを打破する行動など、一般的な若者を取り巻く物語とは異なっていた、という意見に「この作品はいわゆる青春映画とは一線を画すものだと考えています。というのも私が撮っているのはリアルな生態であり、他の監督が撮っているのはフィクションだからです。今、中国の映画で若者の生態をリアルに描いた作品はほとんどありません。実際の生活ではドラマチックな起伏がほとんどないというのが現状ですので、私は日常生活の断片をつなぎ合わせるように描いてみました。特にドラマチックなストーリーではありませんが、普通の生活を描くという点で、彼らは普通の生活の中で彼らなりの喜怒哀楽をもっている、ですからそういう感情を描くとき、私はわざわざ外からドラマとして盛り立てていくということを加えずに、実態に即して描いたわけです。ですから、出演した人たちは、映画が終わっても彼らの生活は続いていくということを描きました」と語られました。

お話し上手なリー・ユンボ―監督。観客は熱心に聞き入って、より本編の理解を深め映画の面白さに気づかされた時間となりました。

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