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子役の力に驚嘆!大人たちが導き、そして導かれた『種をまく人』

《インディ・フォーラム部門》『種をまく人』が上映され、作品の余韻が残り静まる会場へ竹内洋介監督とキャスティング・ディレクターの森ゆかりさんが登壇されました。

竹内洋介監督より「本日、足元悪い中ご来場くださりありがとうございます!今年中には公開したいと思っていますが実際のところは未定。今回観られた方は貴重な経験をされたのではないかと思います」との挨拶に会場からも笑いがこぼれました。

竹内洋介監督

森ゆかりさん

本作での子役について聞かれると「子どもさんを集めてオーディションをしたのですが、オーディションの段階で主人公を演じた子は完璧に演じていましたね。この子なら大丈夫、とその段階ですでに確信していました」と竹内洋介監督。また「この作品では子供の感情を大事にして順番に撮影していったのが良かったんじゃないかと思います。シナリオもはじめの部分だけしか渡してないんです。物語後半からは口頭で説明して行きました。実際撮り始めると、不思議ですが、自然と流れ通りに演じてくれました。子役を周りの俳優さんたちが協力して上手く導いてくれました」と撮影現場を振り返られました。

本作でキャスティング・ディレクターとして参加された森ゆかりさんの本業は俳優のマネージメントだそうですが「現場の環境が整ってないという事で参加しました。普段の仕事ではかなわない、より良い作品を作るための良い判断をしていこうと、それを大切にしました」と話され、その中で主人公の知恵を演じた竹中涼乃さんには「こんな子役がいるのだろうか!」と驚かされたそう。

「かわいく、はっきり、すっきりの子役芝居ではない、ナチュラルな芝居が監督のオーダーでした。オーディションでは集まった子どもたちに、ゲームみたいなことをしてもらって個性を見てピックアップして、ある種、闇のようなものを持っている知恵というキャラクターを、全員一致で竹中涼乃さんに決めました。順撮りで時間の流れを撮りたいという監督のオーダーに彼女は順応してくれ、ぜいたくに1ヶ月かけて撮りました。わたしは喜んで見させてもらい、環境を意識して整えました」と森ゆかりさんはスタッフとして参加した現場について語られました。

続編について観てみたい、との会場の声に「3年前に撮ったので、主役はあと5年くらいしたら撮れるかもしれません」と竹内洋介監督。

白熱した質問に丁寧に答えられたゲストの姿が印象的な時間となりました。

映像に親しんできた若き才能が挑んだ初長編作品『ガーデンアパート』

《インディ・フォーラム部門》『ガーデンアパート』の世界初上映があり、石原海監督と出演された竹下かおりさん、石原もも子さんが会場に駆けつけられ、会場の観客にお礼を述べられました。

この3月に東京藝術大学を卒業されるという石原海監督。「15歳のころから実験映画みたいな作品を作っていて、そこからより物語性の強いものをやりたくてつくったのがこの映画。初めての長編作品です」とご説明に。この物語をつくるきっかけについては「長編で物語性のあるものを撮りたいと2年ぐらい思っていました。ぼんやりみんなでお酒飲んだりしながら生活している中で、一緒に住んでいる女たちであったり、主人公の子も実際に妊娠していたり、というようなことが重なってこの物語となりました。みんな、なんか絶望している。そういう絶望の甘い気持ちよさを肯定したいなと思ったのです」と石原海監督は語られました。

石原海監督

竹下かおりさん

セリフのないシーンでの俳優さんの動きの美しさに質問が及ぶと「ボクシングのシーンは、かなりこだわりがあって、細かく指示して動いてもらいました」と監督。一方で「竹下かおりさんが演じられた京子に関しては、撮影中、竹下さんに、やばい女が乗り移っていまして(笑)」と石原海監督が明かせば、「いえ、あの動きは全部監督からの指示がありました!」と竹下かおりさんが切り返す場面も。

石原もも子さん

また、作品の中で京子の家に集う女の子たちは、監督の友達で共同生活をしている間柄の方もいるそうで、「京子役を演じるのに、パーマをかけ、濃い化粧をして、ハイテンションをプロの役者として演じるのですが、彼女達はいつも普通にあの調子なので、とても太刀打ちできないと思いました。それで“これは根本的に変えないとダメだ”と思い、彼女たちの住んでいるところに行って、夜通しお酒を飲んだり、パーティしたり、クラブに行ったり、普段から生活を変えました。下着も、もも子さんが実際に働くランジェリーショップに行って買ってきました」と竹下かおりさんの撮影時のことを明かしてくれました。

音楽について触れられると石原海監督は「音楽はめちゃくちゃ好きで、できることなら自分で音楽をやりたいといつも思っています。映画はめちゃくちゃ絶望している時とか、逆にすっごい幸せな時には観られないけれど、音楽はそういう時でも聴ける。それが音楽のすごさであり、いつも映画をつくるときに音楽のことを考えています」と話されました。

“家族”を描くため新しいことにも挑み、ねばりをみせた意欲作『僕の帰る場所』

《特別招待作品部門》『僕の帰る場所』が上映され、藤元明緒監督、共同プロデューサーで出演もされている來河侑希さんが登場されました。

藤元明緒監督は「もともと大阪のビジュアルアーツ専門学校に通っていて、映画に入るきかっけが、CO2の助成作品の現場に入ったのが始まりです。こうやって何年かたって、大阪で上映できるのが夢だったので本当にうれしいです」と述べ、続いて來河侑希さんは「共同プロデューサーでもあり、ミャンマー人の家族とかかわるユウキという役で出演させていただいておりました。本日は観ていただいてありがとうございます」と挨拶されました。

「ちなみに監督はまだ30歳ということですが」という話の流れで、「昨日誕生日で30歳になりました」と監督。会場から自然と拍手が起こり和やかなムードに。

観客より本作撮影のきっかけを聞かれると「ミャンマーという国自体かかわりはなかったので、全く知らない状態からスタートしました。それが約5年前。『ミャンマーで映画を撮りたい』というプロデューサーさんの一声で撮ることになりました」と藤元明緒監督。「最初はミャンマーについて誰も知らないし、興味本位ではじまったのですが、逆に情報もあまりにないし面白そうという感じで、話を聞いていくうちに、だんだん自分が入り込んでいって、好きになっていったんですよね。1、2年取材活動を続けました。そこでモデルになった家族と出会って、それを映画で描きたいと思うようになりました」と制作過程について語られました。

藤元明緒監督

來河侑希さん

「東京に住んでいるミャンマー出身の兄弟で、先に脚本をつくっていて、絶対兄弟でとりたかったのです。でも現地でも実際に兄弟を探してみるとなかなかみつからなくて。モデルのご本人達にもオファーはしたのですが、出演はNGということでした。そこで、演技が初めてというあの子たちしかいなかったという状況でした」と監督が実情を話すと來河侑希さんも「女の子の姉妹はいたのですが、男の子の兄弟がなかなか見つからなくて、本当に2組か3組くらいしかみつけられなくて」とご苦労を明かされました。

またお兄ちゃん役の子役については、撮影が始まるとすごい子じゃないかと思うようになってきた、という監督。「理解力が人と違って、子供としてではなく、1人の役者として演出の内容を相談して、とてもできる子で助かりました」と撮影に入ってからの変化を明かし、「お母さんが雑貨屋で働いているんですけど、お母さんの代わりに発注とかする関係で漢字も読んで覚えて、学校のプリントとかも自分で読まないといけなかったらしくて。」と來河侑希さんも子役については驚かされた様子。

ドキュメンタリー映画のようにも見えたという感想に監督は「カメラさんに自由に動かれたり、脚本通りでなかったりするのは気持ち悪くて、ドキュメンタリータッチがあまり好きではなかったのですが、自分の好きなところだけでやっていたら全然“家族”や“子供達”が撮れないとファーストシーンで明らかになったので…。スタイルを変えて彼らの芝居を第一優先にして、カメラやライティングを変えていく方向にシフトチェンジしました。なので、ドキュメンタリータッチにみえたのかもしれません」と返答されていました。

ミャンマーでの撮影について「今もセンサーシップ、検閲というシステムはあります。ちゃんと政府に申請しなければならず、脚本申請・撮影許可・上映許可のチェックが入ります。特に僕らが4年前に撮影した時は厳しくて、政治的な発言はNGで、撮影中は毎日政府の役人が『脚本通りにやっているか』とついてきていました。今でも、検閲はありラブシーンと宗教問題はだめですが、戦争と政治に関してはきちんと段取りを踏めば、だいぶオープンになっています」とミャンマー独自のルールについて藤元明緒監督は丁寧に解説してくださいました。異国の地を舞台に撮る映画の面白さと苦労話のうかがえる貴重な時間となりました。

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