プレ企画|大阪アジアン映画祭・特別ゼミナール
第4回開催レポート(全6回)2013年12月15日@大阪歴史博物館

ゲスト:
リム・カーワイ(林家威)氏
『Fly Me to Minami~恋するミナミ』監督・脚本・編集・プロデューサー)
シェリーン・ウォン(黄淑玲)さん(シェリーン役)
ペク・ソルアさん(ソルア役)

左よりリム・カーワイ氏、ペク・ソルアさん、シェリーン・ウォンさん、暉峻創三氏

 

2カ月半ぶりとなった大阪アジアン映画祭・特別ゼミナール第4回は、前日の12月14日に関西先行公開が始まったばかりの『Fly Me to Minami~恋するミナミ』(第8回大阪アジアン映画祭コンペティション部門出品作)のリム・カーワイ監督(以下、リム監督)と主演女優のシェリーン・ウォンさん、ペク・ソルアさんを迎え、「リム・カーワイ監督と仲間たちを迎えて徹底討論」と題して、質疑応答も交えながらの貴重な講義となりました。

まずは自己紹介で、前作の『新世界の夜明け』、今回の『Fly Me to Minami~恋するミナミ』に続き、大阪3部作として3作目はキタで撮りたいと抱負を語ったリム監督。ちょうど1年前の2012年12月23日に撮影をスタートした同作が、コンペティション部門に入選した裏話も披露しながら、リム監督が大阪を訪れたきっかけや、リム監督作品に共通する「漂流者からの視点」について、暉峻プログラミング・ディレクター(以下、暉峻氏)と展開したトークの模様をご紹介します。

■CO2助成監督として大阪で『新世界の夜明け』を撮るまで

 

暉峻氏:『Fly Me to Minami~恋するミナミ』は、大阪アジアン映画祭の「大阪発。日本全国、そしてアジアへ!」というキャッチフレーズにふさわしい作品ですし、監督ご自身の存在もまさにそうだと思います。なぜマレーシア生まれのリム監督が日本、しかも大阪に来ようと思ったのですか?

リム監督:90年代前半は日本がバブル期で、マレーシアでもパナソニック、シャープ、ソニーなどの会社が工場を造り、日本企業ブームでした。マレーシアでは、家や車を持たなければいけないという固定観念が強く、そのためにはいい職業に就かなければならない。日本でエンジニア関係の勉強をすると将来が約束されるのではないかと考え、93年に東京の日本語学校で1年間勉強し、日本の大学を受験したのです。受かった大学の中で一番レベルが高かったのが大阪大学で、その基礎工学部電気工学科を卒業しました。 その後、04年に中国の北京電影学院で映画のことを勉強し、しばらくは中国や香港などの海外で活動した後、09年に北京で撮った長編デビュー作『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』大阪アジアン映画祭2010のアジアン・ミーティング大阪(上映タイトルは『それから』)で日本初上映されました。そこで、アジアン・ミーティング大阪プロデューサーの富岡邦彦氏に勧められ、CO2の助成監督募集に応募したところ、CO2助成監督に選ばれ、久しぶりに大阪に戻って撮ったのが『新世界の夜明け』ですね。

■デビュー作『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』は自伝的映画

 

暉峻氏:デビュー作『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』は、ずっと故郷にいなかった人が突然故郷に戻ってくるという設定ですが、リムさん自身の実体験を反映しているのですか?

リム監督:かなり自伝的な映画です。大体どんな監督でもデビュー作には自分の姿が反映されているのではないでしょうか。中国のインディペンデント映画は家族や友人に登場してもらうことが多く、私もやりたかったのですが、自分の親を説得できませんでした。というのも、親は「立派なエンジニアになってもらいたい」と息子の私を日本に送り出したのに、サラリーマンを数年で辞めて、北京へ映画を学びに行ったわけですから。いくら家族を説得しても価値観が違うので全く分かってもらえない。『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』の主人公も10年ぶりに故郷へ帰りますが、家族も友達も主人公の存在を無視します。自分自身が感じたその恐怖感を、映画にしたかったのです。

暉峻氏:『新世界の夜明け』や『マジック&ロス』は、故郷の街にずっと定着している人がその街を語る話ではなく、どこかからストレンジャーがやってくるところから始まるという、ホームタウンではない場所の話です。今回の『Fly Me to Minami~恋するミナミ』もミナミに住んでいる人の話ではなく、ミナミにやってきた人の話でした。リム監督はどういう考えで、このようなストレンジャー的視点の話を構築したのですか?

リム監督:僕は溝口健二や成瀬巳喜男が好きで、映画を撮るなら女性の欲望や男性社会の中にいる女性の話を描きたいと思っています。実を言えば、ストレンジャーが知らない街に迷い込んで、何かのプロセスを経験して変わっていくという話を、最初は作るつもりはありませんでした。私は04年から08年までバックパッカー生活をしながら撮影現場に携わっていたのですが、年に1、2本くらいしか仕事がなく経済的に不安定なことから、仕事がない間、タイ、カンボジア、ベトナムといった生活コストの安い所で生活をしていました。そのような生活の中で自分自身、どこにいてもストレンジャー感が強くなり、次第にストレンジャーの角度からのほうが物語を考えやすいと思うようになりました。

■『新世界の夜明け』とつながる『Fly Me to Minami~恋するミナミ』

  

後半は『新世界の夜明け』の映像を観ながら、『Fly Me to Minami~恋するミナミ』とのつながりについて話が及びました。『Fly Me to Minami~恋するミナミ』はクリスマスの日から始まる物語ですが、「『新世界の夜明け』と同じクリスマスに同時発生していたと考えてもいい」とリム監督は2作の位置づけを語り、『新世界の夜明け』があったからこそ生まれた作品であることを強調。『新世界の夜明け』を撮ることで久しぶりに大阪に戻り、大阪の再発見につながったそうです。

受講生からもリム監督へ、大阪で撮ることのメリット、デメリットや、影響を受けた監督についての質問が寄せられました。リム監督曰く、大阪は「ゲリラ撮影に寛容な都市」との言葉が飛び出し、場内は爆笑の渦に。また、影響を受けた監督として、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)、ジョニー・トー(杜琪峰)、黒沢清、キム・ギドク、ホン・サンスなどアジアの巨匠の名が並びました。

最後に、スペシャルゲストとして『Fly Me to Minami~恋するミナミ』主演のシェリーン・ウォンさんとペク・ソルアさんが登場し、大きな拍手で迎えられました。ペク・ソルアさんは、「本作を撮影することで、大阪のいいところをいっぱい知ることができてよかったです」と挨拶。また、シェリーン・ウォンさんは「すごく寒かったけれど、初めて日本の大阪でクリスマスと正月を過ごせたことがよかったです。大阪アジアン映画祭で上映したバージョンと音楽も違うので、もう一度、観に来てほしいです」と、劇場用にさらにパワーアップした同作をPRしてくれました。キュートなお2人とリム監督の3人のサインがもらえるとあって、講座終了後はパンフレットを手に長蛇の列ができ、大盛況のうちに終了しました。

大阪アジアン映画祭・特別ゼミナール第5回は、1月12日に開催いたします。